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てい・ぽっと

創作。 新作は年2ペースです。

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件の如き女

製鏡というのはなかなか難しい技能であって、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間など、ヴェネツィアの腕利きのガラス職人をかき集めて作らせたのだという。そもそも鏡というものの歴史は古い。像が映るということの神秘性から祭祀具として用いられる場合もあったが、最も古くに起源を求めれば我々が自身を水面に映したこと、すなわち水鏡に辿り着き――。

「ねえ、聞いていらっしゃる?」
 水鏡から視線を上げると、そこには草食動物のような長い睫毛があった。
「え、ええ。ええ。聞いておりましたとも。たしか……人の見る世界のお話でしたよね」
「……本当に聞いていたのかしら」
 睫毛の奥の煌びやかな漆黒が私をじろりと睨む。
「とかく、先ほど申したように……人は認知の世界からは逃れ得ません。私の見ている私の貌《かお》と、あなたの見ている私の貌《かお》が、果たして同じような貌《かたち》をしているのか。それを証明する手段はありません。
 例えば――あなた、一部の女性がなぜ、十分に美しいと感じられる見目をしているのにもかかわらず、美容整形手術《自己改造》に勤しんでいるのか、疑問に思ったことはございません? それこそが認知、彼女らには自身の顔面が不十分な見目と知覚されているのです。まこと滑稽で、煩わしいことですわね」
 よく回る舌で持論を展開し終えた女性は、いつものドレスと同じ色をしたワインを呷った。その指の動きひとつさえ、まるで彫像のように美しい。
「先生、一気飲みはお体に障りますよ。どうかご自愛なさってください」
「とは言ったって、ここのところずっと夢を見られていないのだもの。あなただって迷惑しているでしょう? 物のひとつも語られない文筆家だなんて」
 私は少し躊躇した。確かに編集長の貧乏ゆすりが酷くなってきたのを思い返したからだ。
「――いえ、作家のことを全力で支えるのが編集者の役目ですから。それに、夢なんてなくたって先生の内側には十分に素敵な言葉があるじゃないですか。今聞かせていただいたお話だって、装飾をして体裁を整えればきっと」
「物語には、なりませんわ」
 私は言葉の続きをひったくられたのに気を悪くして、少し唇を尖らせた。
「どうしてそう言い切ってしまえるんです。読者だって、編集部だって、みんな先生の新作を心待ちにしているんですよ」
「だからこそ、です。だからこそ、私は期待を裏切ることができないのです。私の夢、『誰かの人生を切り取ったかのような』作品でなければ」
 担当編集に就いて数年経つが、彼女の作品の驚くほどに現実味を帯びた質感の源泉がすべて夢であると告げられた時の衝撃は未だに忘れられない。本来の彼女は理屈っぽい夢想家で、立体空間を切り取るよりも物事を平面に落とし込むほうがよほど得意な人種なのだ。
「さあ、遅くなってしまいますから、今日はお開きにいたしましょう。私の……私の思考整理のためにお時間を割いてくださって、ありがとうございました」
 そう言って彼女は私を玄関へと促した。夜更けの足音が聞こえだしたというのに黒髪は艶やかで、酒を飲んだというのに肌は白磁のような美しさを保っていた。


 次に彼女から連絡があったのは僅か一週間後のことだった。
 「夢を見たから聞いてほしい」というので飛んでいけば、鍵のかかっていない玄関とそこかしこの図書館から借りてきたのだろう本の山が私を出迎える。見惚れるほど豪奢な調度品も今は目を奪うことができず、私は急いで書斎へ向かった。
「先生!」
「ああ――来てくださったのね」
 扉を開けて呼びかけてやっと、書斎の主が私を認識した。その手に持った赤ワインのグラスは傾けられており、デスクのほとんどは資料らしき本とメモ書きのような紙束、そしてぐちゃぐちゃの原稿用紙とワインボトルで埋め尽くされていた。
「ど……どうしたんですか、先生。何か、変ですよ」
「そうかしら。ここは真実がないから、安心して過ごせますの」
「先生……? いや、ところで見た夢というのは」
 先生は二、三度視線を彷徨わせ、傍らのボトルから酒を注ぎ、すぐさま呷った。

「牛が、人が、殺されました」
「……え?」
 私はぎょっとした。いくら夢の内容といっても、殺されたというのはいささかに物騒な言葉であるためだ。
「それは夢のようでした。いえ、いえ、それは夢であればよかったものでした。夢であるべき、夢でない、夢と錯覚していたものでした。私は夢など見ていませんでした。それは私でした。それは私の認知でした。知覚せずにいられた、紛れもない、未来でした」
 脳の処理が追い付かず、指先が冷えたような感覚が起こる。先生のことがひどく淡々として見えたが、ひどく混乱しているようにも見えた。
「仍て、件の如し」
 言葉が先生から零れ落ちていたその切れ目を逃さず割り入ることしか、私には考えつかない。
「落ち着いてください。きっと酔って、夢と現実が混じっているんです。今、お水を注ぎますから」
 私は宥めすかすように先生の口元ら辺を見ながら、空いたグラスに水をなみなみ注ぎこんだ。
「ほら、飲めますか」
 しかし彼女は手渡されたグラスを見つめたかと思うと、それを払いのけるようにして床へと落とした。
「わたくしは、」
 彼女の視線はもう、どこにだってなかった。
「わたくしは、こんな醜いの(傍点)ではありませんの!」
 グラスが弾け、中に注がれていたチェイサーが一面に飛び散る音がした。しかし私は、彼女の顔から目が離せないでいた。白粉が崩れ小鼻の毛穴が目立ち、赤ワインと見紛うような口紅のうち内側だけが剥げ、錯乱し、それでも美しい顔。
「けれど、だって、わたくしがそう(傍点)であるならば、予見を真実にするしかないでしょう」
 泣いたように笑う、女。
「だから、殺しました」

 私は彼女を見た。頭の天辺から足の爪の先の先まで見た。彼女の身には何の変哲の一欠片もなかったが、代わりに足元に先程溢された水がそのままになっているのに気がついた。水鏡である。
 そこでは牛の頭をした女が首をつっていた。ぞっとするほど美しい女はいない。
 私は水鏡が揺れるのを見た。赤色のパンプスが地から離れてゆくのを見た。足の爪の先の先から頭の天辺まで見た。
 そこには長い長い睫毛があり、それ以外の彼女の全ては、この世界の全ての認知から、消え失せてしまっていた。


 仍て、件の如し。

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昼の月影

高1の時に書いたのをしっかりリライトしたもの
字数が3000くらい増えたけれど、場面飛んだ感じを低減させたいがために本筋ではない文章を増やした結果です。プロローグと1日目で6000書いてたの馬鹿だよ
9600字と少し。

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血の色をした空の許で

SFっぽいナニカ。
2432字。続きを見るからどうぞ。

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「シキの鳥居」テキスト&イラスト

高3の文化祭で展示・配布したゲームのテキストです。システム担当に渡したやつそのまま。
仮称という名のコンセプトは「四季と鳥居と猫と選択肢ゲー」。私は企画・シナリオ・イラストを担当しました。

イラストは主人公 5・ミサキ 7・幼主人公 3・背景 5 で、差分含め計20枚描きました。あとタイトルロゴ。
あまりにもな出来なのでタイトル画面とイメージ共有用見本だけ置いておきますね。


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